6/3を振り返る-いい大人の為の【自分と出会い直す】ポートレート撮影会

ご参加いただいた被写体の皆さんに「対話」と「写真(撮影)」で「出会い直す」をお届けできたのか?

6/3のアナウンスで
“今回は外見だけで無く、
対話を通じて「自分から出る言葉」=内面とも向き合ってもらう機会をつくりたいと思います。”
と記しました。
(今更だけど、ずっと思ってたけど
なんかスピ臭するタイトルじゃない?笑 お話しして写真撮っただけだよ!!)

内と外、両側からご自身へのアプローチを目指していましたが、それは成立していたのか?

これは「撮影後のインタビューでもらった言葉を3方向で分けてみた」の図です

今回も撮影後、おひとりおひとりからご感想を伺いました。
これを受けて僕が気づいたこと・感想を並べていこうと思います。(まとまってはいないな…)

対話・お話を通じて得たこと

“対話を通じて「自分から出る言葉」=内面とも向き合ってもらう機会をつくりたいと思います。”
これはうまくできたと思います。

①「話すことで自分の考え・気持ちが整理された。」
会話することの効果のひとつではありますが、
実際にそのような機会を持つことは難しいことがあるのかもしれません。

②「身近すぎない距離感だから、整理して伝えようとできた。」
事前の対話ではご自身の現在にフォーカスしてじっくりとお話聴かせてもらいました。
(お話ししてもらうけど、お悩み相談を受けたいわけでも、セラピストになりたいわけでもなく、
自身を言葉にしてもらうことで写真撮影・写真表現にどう影響するのかが知りたかった)

「出会う」って書くとちょっと詩的表現?だけれど
「現状の言葉化・客観」を促すことはできていたのかもしれません。

③「身近すぎない距離感だから、よく周りから言われることもよりポジティブに(より素直に?)受け入れられた。」
【言葉の重さが距離感で変わる】、(僕が発した言葉で起こり得たというのが)面白い発見でした。
僕がめちゃ身近な人を撮るとなったら・真面目にお話を聴くとなったら、
どんな顔してやりゃいいんだ?と今、想像してこそばゆく思っています。


④「自分の『好き』を(思い出して)発言してもいい機会だった。」
僕は対話する中で「表現に直結するかはわかりませんが、好みの絵や写真を教えてください」と伝えてきました。
デザイナーさんや職人さんにも参加いただいていて、僕もですが「要望に答えることこそが正」になりがちだと思います。
好きを巡り伝えることは、自分の中の美や正=価値観の一部を再認識するいい機会になると思いました。
(今回は、皆さんに「好み写真の雰囲気」はおうかがいしたり、
一緒に「こう撮ったらおもろくないですか?」と考えたりはしましたが、
「こう撮って欲しい」という要望は敢えて聞いていません。
聞いちゃったら実験にならない(=仕事になっちゃう)のでね。)

写真撮影後に得たこと

写真や撮影の時間で感じ取ってもらったこと、その後の行動の観測(変化)について。

❶「いつもの自分が残る。」「今の自分がわかる。」
ベースは自然体で、たまにポーズを決めてもらうように進めていくのですが、どっちも今の自分として受け取ることができたようです。直視したくない現実もはっきりと写っているそうな笑

❷「コミュニケーションのきっかけになった。」
SNSの投稿やプロフィール写真に使用することで、普段より多くの反響を得たり、しばらく連絡を取り合ってなかった人とやりとりがはじまったり、
自分と出会い直す以上?それ同等に?、既につながっている人と出会い直すきっかけにもなれたんじゃないかと思います。

❸「『この写真、いいやん!』と言ってもらえることが素直に嬉しい。」
自分の写る写真を褒めてもらえる、そりゃ悪い気はしません。
不思議ですよね、目の前の本物の自分は褒めてもらえないのに、写真の自分は褒めてもらえるって笑
誰かと一緒に写真(たち)と向き合う、特別な時間をつくりだすんでしょうな。
(いちいち口にしないことを写真見てる間は言える)

自分や他者とのコミュニケーションが写真によって生まれるというのはやりがいを感じられるポイントです。

❹既視感あるなぁ…つくった人はすごいなぁ
これは僕がひとりで思ったことなのですが
「なんか見たことあるな、モデルさんっぽい、雑誌っぽい、いい!」
「…けど、それでいいのか?」
クリエイターにとって「既視感あるアウトプットを善しとする」のはどうなんだろう。

と思いつつも、
そもそも企画コンセプト(裏)に「好きな表現に自分なりに寄せてみよう」も含まれている。
…今回は、偶然できたものだったので、まだまだ足りてないなと感じました。
(狙っていって出せたならOKと思う)

❺「事前にお話ししていたので気恥ずかしさが少ない。」
出会って数秒でこの問題クリアできる人(被写体もカメラマンも)いるかもしれませんが、
大半の方は自分だけにカメラを向けられる状況、恥ずかしかったり緊張したりあります。

❻「自分だけがフォーカスされることに、わくわく・どきどき。」「主人公感を取り戻す。」
上とつながっていると思いますが、
「プロのフォトグラファーに撮られる感覚」がいい作用をしている場合は「わくわく」になるのでしょう。

僕が目指す在り方としては、
「僕はフォトグラファーと名乗ってるけど、あなたも同じただの人間。人間同士で楽しい時間をつくりましょう。」
を善しとする。

とは言うものの、やっぱりプロとして見られてるんだなぁ。
「技術者として(料金に見合った)期待に応える」意識はあったけれど
「プロフォトグラファーなんだ」という自覚はあまりなかったかもしれない。(一緒か?んー、うまく表現できない。。。)

「自分だけがフォーカス」を掘っていくと、
「誰もが自分の人生の主人公であるんだけれど、それを意識しなくなってしまう」問題が裏にある気がします。

「本当はこうしたいのにあのことがあるからできない」
「付与されている役割で手一杯」
「この立場にいたら制限があるのは当然のことだ」

ひとそれぞれ、立場・状況で正しいこと、やらなきゃいけないことは変わってくるのは当然のことなんだけれど、
「それっぽいあるべき姿」に必要以上におさまろうとしてしまうことがあるんだと思います。

このことを一瞬忘れることができて、
この一瞬で大事なことを思い出すことにつなげられたんじゃないかと思いました。

次回、どうする?どんな仮説・テーマを立てる?

今回の結果を通じて、僕の頭の中に焼き付いているのは「つながり」と「主人公感」です。

ここからぼんやりポートレート撮影表現の方向性が浮き沈み…

◎カッコつける…主人公主人公する・特別感を出しまくる
(「確かに知ってるあの人だけど、だいぶ決めてんなー!」って思われるポートレートを撮る)
今までなることがなかったような、カッコつけてる自分で、繋がる人へのイメージ外の姿を発信する

◎ナチュラル…自分にちゃんと納得してる・自分の納得に向かって動けてる
変わらず続いているペースの中で、(自分の在り方に納得してるから)自分を切りとってほしい
(「あなたらしいね」)

ベクトルが逆っぽくもあるし、絡んでるところもあるなと思いつつ、
これらを1つの機会で意識して表現したら何が起こるのだろう。

いつも通りの自分と、意図してつくった自分の姿を目の当たりにしたときに、
被写体の方と僕の中に、どんな感情が生まれるんだろう。

表現方法が、僕の中では絞られていく感覚です。

やるぞ!乞うご期待!

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